フィリピン南部のミンダナオ島で「幻」といわれる希少なカカオの栽培が始まった。ダバオ近郊の山奥で旧宗主国のスペインが残した種が見つかり、昨年、苗木が植え付けられた。「新しい島の産業に育てたい」。1人の日本人男性が試みの中心になっている。
ミンダナオ島は赤道のやや北に位置し、一年中強烈な日差しが肌を刺す。同島で最大の都市ダバオの中心部から車で2時間。熱帯のジャングルを開いた畑におよそ3千本のカカオの苗木が植えられていた。
苗木の中に全世界で生産されるカカオのわずか5%しかないクリオロカカオが交じっている。スペインの植民地時代にメキシコ経由で持ち込まれ、数百年間、山奥でひっそりと自生していたという。
地元の人たちの話を聞きながら、手つかずの山道を切り開き、その種を見つけたのは30年以上フィリピンに住み、国際協力機構(JICA)の現地調査などに協力してきた日本人、武藤慶操さん(61)だ。
日本向けバナナの生産で知られるダバオは、熱帯にありながら台風が少なく、カカオの生育にも適している。地元では少量ながら商業用に生産されてきた歴史もある。
「4年もすれば木が育ち収穫できる」(武藤さん)という。畑の近くに住む人たちにも栽培に参加してもらい、将来的には収穫から焙煎、商品化までの工程を現地でできるようにするのが目標だ。
クリオロカカオは病気にかかりやすく栽培は一般的な種類に比べて難しい。豊かでまろやかな風味を持ち、高級チョコレートの原料として珍重されている。武藤さんは「カカオでダバオを有名にしたいんです」。
ドゥテルテ大統領のお膝元のダバオは日本と古くて深い関わりがある。マニラ麻の栽培や貿易に携わる2万人近い日本人が戦前から居留していた。日本が敗戦を迎えると、ほとんどの日本人は強制送還されたが、その子供たちはダバオに残り、厳しい差別に耐えながら戦後の社会を生き抜いた。現在でも多くの日系人が暮らしている。
独立後のフィリピンは政治的な混乱が続き、日本が戦後復興を果たしたのとは対照的に経済成長の波から取り残された。特に1970年代以降、内戦の舞台となったミンダナオ島の発展は遅れ、今も貧しい農村が多い。
武藤さんがフィリピンに移り住んだのは、6年前に他界した兄の勧めでマニラ麻に関する事業をすることが目的だった。希少カカオの栽培に挑むのは「カカオで有名になれば地元に職が生まれる。歴史的に関わりが深い2つの国をつなぐことができる」との思いからだ。
武藤さんは最近、新たな栽培候補地を見つけた。カカオ畑で働きたいという現地の人たちも増えているという。かつてマニラ麻の栽培で日本人と共に繁栄したダバオ。カカオが新しい絆を結ぶ糸となるのか、挑戦が続く。(日経新聞等より)
ミンダナオは豊かな大地と言われている。我が家のあるネグロス島バコロドにも一部の野菜類等が入って来ている。日本への輸出もココナッツ、パイナップル、バナナの他にカカオ、蕎麦、ウナギも入ってきそうだ。