飛行機が空を飛ぶためには、機体を浮き上がらせる揚力と、前に進むための推力が必要になる。揚力を発生させる役割を果たしているのが左右に大きくせり出した主翼であり、推力を生み出すのが主翼に吊り下げられたエンジンです。
B777-300ER
いま「主翼に吊り下げられた」と、エンジンの位置について書いたが、ボーイングやエアバスが現在製造している旅客機は、エンジンが2基ついている双発機も4基ついている4発機もすべて主翼にエンジンがぶら下がっているスタイルで、どの機種も似たような形に見える。しかし過去に開発された機種の中には、ユニークな場所にエンジンがついている珍しいものもありました。
実際に、ひと昔前の旅客機はとても個性的だった。その代表的なものが、エンジンが3基の3発機と呼ばれる機種だ。3発機でも、エンジンの取り付け位置に少しずつ違いがあり、タイプもいろいろ。私としても懐かしい機体が、1960年代に登場したボーイング727。これは3基のエンジンがすべて機体後部にあって、そのうちの1基は空気の吸い込み口が垂直尾翼を貫通するようにデザインされていた。また、「ロッキード事件」と言う世界的規模の汚職事件で名を馳せたロッキードのL‐1011トライスターも3発機でした。
ロッキードのL‐1011
「ロッキード事件」名を馳せてしまったロッキードL-1011ですが、ANAにとっては重要な節目の機体でもあったようです。
ANAのこの国際線デビューは1986年3月の東京(成田)~グアム線で、その新規就航を担った機体が、ロッキードのL‐1011トライスターであった。ロールスロイス製の3発エンジンや曲線を生かした尾翼のデザインなど、その独特なフォルムでファンも少なくなかったと思う。
ANAのロッキードL-1011トライスター1号機が羽田に到着したのは、1974年2月。そして翌3月に、羽田~那覇線に就航する。当時の機体塗装は、2009年12月に20年ぶりに特別塗装機として復活した「モヒカンルック」だった。
最盛期には21機が国内の空を飛び、80年代には看板旅客機の座をボーイング747に奪われてしまったものの、それでもトライスターは主力機であり続けて、86年3月には定期国際線開設という大役をトライスターが見事に果たすことになった。そのときは機体塗装も、かつての「モヒカンルック」から現在の「トリトンブルー」に変わっていました。
また、ANAの前身は日本ヘリコプター輸送(株)で、この会社が極東航空を合併して全日空になった。そのため、航空便名は、今でも「NH(日本ヘリコプター)○○便」となっている。
写真右側の機体が「モヒカンルック」
今は社章もANAのデザインになっているが、昔の「モヒカンルック」の機体の尾翼にも描かれている「デオナルド・ダ・ビンチのヘリコプターの図案」が、社章にもなっていた。
今回は、旅客機のエンジンの位置の話から、ロッキード事件・ANAの話まで飛んで行ってしまいました。やはり、航空機会社ですね。(笑)